2025年02月19日
今日は丹波亀山城址(明智光秀)を攻めてみた (`・ω・´)ゞウムッ
令和7年2月15日

2月半ば、マチ友(笑)が引き取って欲しいものがあるとか…
っとなると、時節柄アレしかないだろうと
鼻の下を伸ばして京都府は亀岡市へ
じつは今日は海況予報が良く
宮津湾でゴムボートを出すつもりであったが

ことがコトだけに進路変更(`・ω・´)ゞウムッ
結果は…
処分に困った冷蔵庫を持って帰って欲しいとのことだった↷↷↷↷
(;´∀`)アハハハ
まっ↺小咄はこんなところで
待ち合わせまでは少し時間がある…
っとなると、史跡好きのあたし
前から行ってみたかったトコがある…

https://www.kameoka.info/mitsuhide/kameyama-castle.php
丹波亀山城址 (`・ω・´)ゞウムッ
亀山城は織田信長に丹波侵攻を命ぜられた明智光秀が丹波攻略の足掛かりとして、丹波の入口の亀岡に築いた城
写真の天守は江戸期に建てられた5層天守だが、光秀の頃にも3層の天守があったとか
この地の先は丹波乃国
谷と山ばかりで、たぶん追っても山の中に逃げ込んでしまって往生したと思う
その丹波乃国に巨城がふたつ
黒井城(丹波市春日町)と八上城(丹波篠山市八上)
亀山城が対するのは八上城(波多野秀治)かな

道中、八上城をそんな風に想像しながら見上げて来た
では亀岡到着☆
その中程の小山が亀山城址

北東の亀岡駅前にあるのは京都パープルサンガのホームかな
その先には保津川下りの乗船場もある観光地

駐車場はこんなとこ
実は亀山城址は、現在大本教という宗教施設となっていて
そこに拝観料300円(駐車場込み)を納めて拝観させてもらう
施設はこんな感じ

宗教施設ではあるが、基本的に元の亀山城の石垣を復元されてるとのこと
復元というのは…
亀山城の石垣は明治期に民間所有になり、石単体として売られたりして荒廃

それを大本教が積み直したが、第二次世界大戦中の宗教弾圧で徹底的に破却

今の姿を取り戻すまで、大変な苦労があったと思う
こんな資料は拝観料を払う所にあります
(`・ω・´)ゞほーっと感心すること請け合い

さて↺では拝観(人´∀`)
受付で丁寧な説明とパンフレットをいただく
見所と順路を説明してもらうが、あたしは軽い脳障害があってひとの話が頭に入らない
(;´∀`)あくまでも宗教施設内なので順路の看板も無いが、城の造りは頭に入ってるので城攻めには問題はない↺

早速見えてくるのが内堀
この内堀も荒廃時には水田になっていたとか
水があるのはここらだけで、奥にかけては空堀
ただ、その空堀の空間を無駄に使わずに残されているところに感心する
だれだって空間があれば何かしら手を入れたいところだが、城の「間」を大切にされていることが感じられる
続いて


城普請の為に運ばれてきた石に刻まれた武将の刻印
どこの城にもあるものではあるが、何度も破却された石垣なので残っているのが珍しいのかな
何箇所かあるらしい
たぶん江戸期のものだな
ただ明智光秀と言えば、ここから山陰路へと進んだ先にある福智山城の石垣
そこは地域で大切にされている仏像や石塔も石垣に組み込まれている
ここに無いのは、たぶん復元時に外されたのかな
宗教施設だし( ´ー`)y-~~推測だけど
土曜日の昼間というのに他に拝観者もなく

純粋に歴史の流れを思い馳せることが出来る
ありがたい(о´∀`о)
そして遠目に天守台が見えてくる…

天守台は宗教施設の聖域になっていて立入禁止
当然(`・ω・´)ゞウムッ
ここの石垣は下1/3ほどは破却を免れ、当時の穴太積みが残るらしい

上部は武者返しを意識して復元されているのは江戸期を元にされてるのかな
これを教祖が先頭に立って復元されたというのだから、その熱意に頭の下がる思いがする

ここからは聖域の天守台を遠目に拝むことが出来る
またここから西側の城正面も立入禁止

城内全域に渡って綺麗に整備されていて、大切にされていることが手に取るようにわかる

さて、では城の北側に回って植物園へ


この植物園がいかに丁寧に配置され整備されているのかは、わかる人にしかわからないかな
(;´∀`)←一級造園持ち
こちらの植物園からは天守台を見上げ
光秀お手植えのイチョウを眺めることが出来る

なんの案内も無いが、たぶんそう
植物園の隅には小さな湧き水が

旧城図にはこの上に井戸が描かれていたと思うので
こちらが水の手のひとつになるのかな
しかし…どこまで好きなひとが造った植物園なんだろうか
適材適所に植えられた植物配置にひとり痺れる(笑)
そんなこんなで、とことんまでねぶり倒してきました↺↺↺↺
京都の西の要所「老ノ坂」を守る亀山城址
ここから魔境丹波乃国に挑む光秀の気持ち(黒井城でタヒにかけた)
その荒廃した城地を買取り、整備復旧を果たした人々の気持ち
明治に破却されるまで京に上るひとのシンボルとして在ったんだろうと思います

美味しい時間だった…(*´∀`*)

2月半ば、マチ友(笑)が引き取って欲しいものがあるとか…
っとなると、時節柄アレしかないだろうと
鼻の下を伸ばして京都府は亀岡市へ
じつは今日は海況予報が良く
宮津湾でゴムボートを出すつもりであったが

ことがコトだけに進路変更(`・ω・´)ゞウムッ
結果は…
処分に困った冷蔵庫を持って帰って欲しいとのことだった↷↷↷↷
(;´∀`)アハハハ
まっ↺小咄はこんなところで
待ち合わせまでは少し時間がある…
っとなると、史跡好きのあたし
前から行ってみたかったトコがある…

https://www.kameoka.info/mitsuhide/kameyama-castle.php
丹波亀山城址 (`・ω・´)ゞウムッ
亀山城は織田信長に丹波侵攻を命ぜられた明智光秀が丹波攻略の足掛かりとして、丹波の入口の亀岡に築いた城
写真の天守は江戸期に建てられた5層天守だが、光秀の頃にも3層の天守があったとか
この地の先は丹波乃国
谷と山ばかりで、たぶん追っても山の中に逃げ込んでしまって往生したと思う
その丹波乃国に巨城がふたつ
黒井城(丹波市春日町)と八上城(丹波篠山市八上)
亀山城が対するのは八上城(波多野秀治)かな

道中、八上城をそんな風に想像しながら見上げて来た
では亀岡到着☆
その中程の小山が亀山城址

北東の亀岡駅前にあるのは京都パープルサンガのホームかな
その先には保津川下りの乗船場もある観光地

駐車場はこんなとこ
実は亀山城址は、現在大本教という宗教施設となっていて
そこに拝観料300円(駐車場込み)を納めて拝観させてもらう
施設はこんな感じ

宗教施設ではあるが、基本的に元の亀山城の石垣を復元されてるとのこと
復元というのは…
亀山城の石垣は明治期に民間所有になり、石単体として売られたりして荒廃

それを大本教が積み直したが、第二次世界大戦中の宗教弾圧で徹底的に破却

今の姿を取り戻すまで、大変な苦労があったと思う
こんな資料は拝観料を払う所にあります
(`・ω・´)ゞほーっと感心すること請け合い

さて↺では拝観(人´∀`)
受付で丁寧な説明とパンフレットをいただく
見所と順路を説明してもらうが、あたしは軽い脳障害があってひとの話が頭に入らない
(;´∀`)あくまでも宗教施設内なので順路の看板も無いが、城の造りは頭に入ってるので城攻めには問題はない↺

早速見えてくるのが内堀
この内堀も荒廃時には水田になっていたとか
水があるのはここらだけで、奥にかけては空堀
ただ、その空堀の空間を無駄に使わずに残されているところに感心する
だれだって空間があれば何かしら手を入れたいところだが、城の「間」を大切にされていることが感じられる
続いて


城普請の為に運ばれてきた石に刻まれた武将の刻印
どこの城にもあるものではあるが、何度も破却された石垣なので残っているのが珍しいのかな
何箇所かあるらしい
たぶん江戸期のものだな
ただ明智光秀と言えば、ここから山陰路へと進んだ先にある福智山城の石垣
そこは地域で大切にされている仏像や石塔も石垣に組み込まれている
ここに無いのは、たぶん復元時に外されたのかな
宗教施設だし( ´ー`)y-~~推測だけど
土曜日の昼間というのに他に拝観者もなく

純粋に歴史の流れを思い馳せることが出来る
ありがたい(о´∀`о)
そして遠目に天守台が見えてくる…

天守台は宗教施設の聖域になっていて立入禁止
当然(`・ω・´)ゞウムッ
ここの石垣は下1/3ほどは破却を免れ、当時の穴太積みが残るらしい

上部は武者返しを意識して復元されているのは江戸期を元にされてるのかな
これを教祖が先頭に立って復元されたというのだから、その熱意に頭の下がる思いがする

ここからは聖域の天守台を遠目に拝むことが出来る
またここから西側の城正面も立入禁止

城内全域に渡って綺麗に整備されていて、大切にされていることが手に取るようにわかる

さて、では城の北側に回って植物園へ


この植物園がいかに丁寧に配置され整備されているのかは、わかる人にしかわからないかな
(;´∀`)←一級造園持ち
こちらの植物園からは天守台を見上げ
光秀お手植えのイチョウを眺めることが出来る

なんの案内も無いが、たぶんそう
植物園の隅には小さな湧き水が

旧城図にはこの上に井戸が描かれていたと思うので
こちらが水の手のひとつになるのかな
しかし…どこまで好きなひとが造った植物園なんだろうか
適材適所に植えられた植物配置にひとり痺れる(笑)
そんなこんなで、とことんまでねぶり倒してきました↺↺↺↺
京都の西の要所「老ノ坂」を守る亀山城址
ここから魔境丹波乃国に挑む光秀の気持ち(黒井城でタヒにかけた)
その荒廃した城地を買取り、整備復旧を果たした人々の気持ち
明治に破却されるまで京に上るひとのシンボルとして在ったんだろうと思います

美味しい時間だった…(*´∀`*)
Posted by hamaneko at 07:56│Comments(0)
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